こんな人におすすめ
・学校や会社の人付き合いに疲れる人
・同調圧力に苦しんでいる人
・飲み会や遊びに誘われたら断りずらいと感じる人
・なぜ日本では「世間」が意識されるのか知りたい人
・自分の感覚を大事にしたい人
人間関係からくる生きづらさを、和らげてくれる一冊でした!
本について
【参考文献】
鴻上尚史, 『「空気」を読んでも従わない』, 岩波ジュニア新書, 2019, P189
著者 鴻上尚史
著者の鴻上さんは、劇団を結成され、演劇、そのプロデュースをされています。
本書の中でも、演劇を学ぶ留学での、空気を読まない海外の方のエピソード、
演劇の講師を務めた時の生徒の自己紹介で言うことが決まっていく「空気」のエピソードなどが出てきていました。
本の内容
「世間」と「社会」
日本人は、文化的に、身近な知り合いの集団である「世間」を重視するようになっています。
逆に、その外にいる「社会」の人とは、深い関わりは持とうとしません。
海外の方は、知らない人同士でも、フランクに話すことが多いそうですが、
たしかに、日本では、無言でエレベーターの上の表示階を眺める、というのが日常ですよね(笑)
「世間」の成り立ち
日本は、農耕の文化が中心であり、村という単位での団結が強く求められました。
また、島国ということもあり、他民族から攻められることが少なかったため、同一の民族での集団、「世間」の力が強い文化が育っていきました。
「世間」のルール
「世間」のルール
①年上がえらい
②「同じ時間を生きる」ことが大切
③贈り物が大切
④仲間はずれをつくる
⑤ミステリアス
鴻上尚史, 『「空気」を読んでも従わない』 (p81-)
世間にはこのようなルールが、気づかないうちに存在しているため、
このルールに縛られ、生きづらさを感じることが多いのです。
たしかに、全員で打ち上げに行くことを大切にする傾向がある(②)気がするし、
お中元とか、お歳暮の文化とか、とても日本らしいよな(③)
「世間」との闘い方
「世間」は簡単には、変わらないです。
たしかに、21世紀、令和の時代になっても、このような集団意識は、少なからず残っていると感じますよね。
だから、完全に「世間」を無視するんだ!、という生き方は難しいかもしれません。
一部では、「世間」の慣例に従いつつも、その慣例が本当に絶対的なもの?
(ex. 年上が言ってるから絶対正しい? 前からやってきているから絶対正しい?)
と疑ってみることが、大きな一歩になるはずです。
また、鴻上さんは、自分が所属する「世間」が一つだけだと、そこから仲間はずれにされることがより怖くなってしまう、と述べています。
たしかに、その「世間」から外されたら、居場所がなくなってしまいますもんね。
ですが、少しでも、他の「世間」にも所属していれば、無理して一つの「世間」に執着する必要がなくなり、嫌なルールがある「世間」でも、そこに所属してなくてはいけない…という思い込みもなくなります。
スマホの時代に
SNSでは、いいねやフォロワーなどで、「世間」が可視化されています。
そうすると、そのような「世間」からの評価が気になり、自意識が拡大していって、そのような「世間」からの不安定な評価に翻弄されることになってしまいます。
そうすると、生きづらくなってしまうので、
SNSへの投稿は、「好きかどうか」「やりたいかどうか」で判断するべきだと、鴻上さんは述べています。
本書から学べること
今所属している世間が全てではない
日本人は特に、「世間」を強く意識するため、その「世間」が生活の全てに思えます。
・この集団から外されたら終わりだ。
・みんなに好かれるように生きなきゃ。
ですが、本書を読んで大事にしたいと思ったのが、
「今いる世間が、人生の全てではないということ」です。
たしかに、友達のグループ、学校のクラス、会社の部署、そういった集団から仲間はずれになりそうになったら恐怖を感じます。
ですが、人生を長い目で見れば、それは人生のたったの一部分でしかなく、
むしろ、自分らしくいずらい集団から脱せたのは、長いスパンで見ればポジティブなことかもしれないのです。
例えば、
スポーツの部活に所属していて、全然尊敬できないコーチが絶対的な権力を持っていて、それに従わないと、試合に出してもらえない。
このような場合、
・そのスポーツをやりたいから、生きる作戦の一つとしてコーチに従う
・自分を大事にしたいから、部活はやめる
どっちもありだと思います。
ですが、後者の選択肢を考えられない状態で、「従うしかないな…」と思ってしまうと、自分の心を無視することになって辛くなってしまいます。
これは、昔の自分にも言いたい言葉です。
私は、結構その場の空気とか、人の視線とかを意識しやすいのですが、
小中高と、学校にいるうちは、そういった世間を感じざるをえませんでした。
それは、集団で生活することが当たり前の環境であったし、それを学校側も求めていると思うからです。
大学生になると、そういった集団がわりと減って、部活も引退した今では、生きづらさを感じるシーンが減って、気持ちが楽になったなと感じてます。
なので、もし今、学生で、集団の圧力や、周りの人と全然意見が合わないことで大変な思いをしている人がいたら、
ぜひ無理して合わせすぎず、辛くない方を選んで、生き延びてみてほしいなと思います。
いつか、あなたに合う集団、「世間」と出会っていくはずです。
現在の、集団を重んじるような雰囲気のままの義務教育では、生きづらさを感じる人が出てくるのは仕方のないことでしょう。
これは個人の推測ですが、それが、現在増えている「不登校」の一因にもなっていると感じます。
インターネットで、選べる「世間」
むしろ現代は、インターネットにより、触れられる「社会」が増えました。
そこには、自分と似た価値観、似た関心をもつ人がたくさんいるかもしれないのです。
自分らしくいずらい目の前の「世間」にずっといるのか、
自分らしくいられそうなどこかの「世間」に行ってみるのか、
それを選べる時代になってきていると感じます。
生まれた場所、家庭、親の価値感が全てだと信じこむ。
それが嫌だと思っている部分もあるのに、その価値観に従って、
むしろ、その価値観に従ってない人を吊し上げる。
そんなことは絶対したくないです。
無意識のうちに、望んでいない世間を再生産したくないです。
そのために、今いる世間を、普通を疑う姿勢はもっていたいなと感じます。
まとめ
鴻上尚史さんの『「空気」を読んでも従わない』を紹介しました。
日本独自の、同調圧力や空気が生まれる「世間」という文化。
それらは、日本の歴史から生まれてきた文化ではあるが、今もなお根強く残っています。
そんな「世間」によって、生き延びてきた日本人ですが、現代は、それによって生きづらさを感じているのも確かです。
その生きづらさを緩和するためにも、「世間」が絶対のものだという思い込みを解き放つこと、
また、自分の価値観に合った「世間」に所属してみることが大事です!!
日本で生きてたら、共感できるエピソードがたくさん載っていました。
また、記事に載せきれない、「世間」と向き合うコツ(「裸の王様作戦」とか笑)もあるので、本書もチェックしてみてください。
新書で、一つの章が短く、サクサクと読みやすかったです!