こんな人におすすめ
・自分は幸せになれない、環境に恵まれないと感じる人
・変わりたいけど変われない人
・学校や職場などの環境に悩む人
・哲学的な思考が好きな人
・心理学、教育などに興味がある人
自分が感じていたモヤモヤを、論理的に、現実的に考察してみました。
少し不快な思いをする人がいるかもしれませんが、これが私の率直な意見と考察であり、
希望を残す形で結論づけることができたと思いますので、ぜひ読んでみて欲しいです。
遺伝 or 環境?
心理学で語られる遺伝と環境
人の性格や運動能力、知能、才能などを語る時に、その要因として、
「遺伝 or 環境」について触れられる。
心理学や脳科学などの分野ではよく耳にするトピックである。
「人が、自らの意志で、自分を変える余地はあるのか?」
多くの人は、どこかでこう疑問に思ったことがあるのではないかと思う。
私自身も、
・やるべきことやらずにダラダラしてしまうこと
・熱しやすく冷めやすい、物事に飽きやすいこと
・繊細で人の言葉にとても傷つき、落ち込みやすいこと
・人よりスポーツで良い動きができない、良い結果が出せないこと
・将来の仕事はやりたいことよりも安定した仕事にするべきなのか、ということ
などなど、
これらを、性格、才能、家庭環境、社会環境などの要素で
遺伝なのか、環境なのか、などで考えたことがある。
では、例えば、とある架空の人物が、
IQが低く、テストで良い点が取れない理由を分析する仮説として、
遺伝的に、学習能力が低く、
環境的に、良い教育にありつけるお金がなく、そもそも義務教育がないような文化か、または義務教育の中身が乏しく、周りの人にも恵まれなかったから。
そう分析できるとする。
この考え方の場合、
その人が立ち入る隙、
その人が意志によって変わろうとすること、
意志で何か行動を起こせる余地、
それらがないように見える。
実際には、それらの余地は限りなく少なく、ゼロに近いことも多いと思われる。
これが、比較的に発展途上の国、治安が悪い地域などなら、
よりそうなりやすいことは、想像に難くない。
他の例では
では、他の、よりリアルな残酷さがある例として、
大量に人をあの世へ送ってしまった犯罪者がいたとして、
その背景を、仮説としてこう分析するとする。
遺伝的に、知的な障害があって、物事の正確な判断や社会的なコミュニケーションが不得意であり、
環境的に、幼少期に親から虐待を受けていて、前頭葉などに影響があり、感情や行動をコントロールするのが難しかった。
こう分析した場合も、また、その人が自分の行動を変える可能性が少なそうに思える。
自分の行動を変える可能性がなかったのに、
犯罪者と扱われるのは不当であると感じる人もいると思うが、
そのために、実際に、責任能力の是非で有罪無罪が変わることもある。
少し極端な例を挙げたが、
この記事を読んでくれている人自身の体験でも、
このような分析をしたこと、されたことはあるのではないだろうか。
私も、最初に触れたように、自分自身について、
遺伝 or 環境の要素でいろいろ考えた。
そのように考えていって、生まれた疑問を再度提示したい。
「人が、自らの意志で、自分を変える余地はあるのか?」
環境の中にあるかもしれない「意志」
では、実際に、上記の様々な例も含めて、この疑問について考察していきたい。
結論から言うと、
「自分のことを自分自身で変える余地は、ごくわずかながらも、ある場合が多いのではないか」
これが私の出した見解です。
まず、遺伝と環境という分け方で良いのかを批判的に考えてみた。
だが、これに関しては、他の要素を見出すことは難しかったため、
(というか、いろんな要素を考えたが、この2つに集約されるため)
この分け方を前提として考えたい。
(もし、他の要素があったら教えて欲しいです。)
遺伝は変えられない
では、次に「遺伝」と「環境」の要素を
自らが変えられるかについて考えていった。
そうすると、「遺伝」の要素を、意志で変えるのは、
現代の技術と倫理規定では難しいと判断した。
残すは「環境」の要素になるが、
こちらに関しては、意志で変えられるものもありそうである。
・生きる環境、場所、地域、
・所属する集団、組織、会社、学校、
・関わる友達、パートナー、
・周りに置く物、所有物、
現代は特に、スマホなどのデジタルデバイス、
それらとともに、
習慣、行動、
考え方、マインドセット、
これらの環境的な要素をわずかながらでも、その一部だとしても、
変えることはできるのではないだろうか。
もちろん、年齢や生まれ育った場所、家庭によって、
できるかどうかの差があるのは否めない。
だが、どこか思いあたるところがある人も多いのではないかと予想する。
そして、環境は、
その人の性格、才能、さまざまな能力、幸福度に
少なくない影響を与えるはずである。
こうして出た結論が、
遺伝or環境の、「環境」の部分を意志で変えることはできる、
それはつまり、自分の人生を、自分自身を
変えることができるということになりそうだ、ということである。
補足
そう考えていって、一旦立ち止まった。
意志ってどうやって生まれるのだろう、と。
人は変わることができると言っても、
変わることを意図するきっかけがなければ人は変わらないはずだ。
そうすると、意志を発生させるものも、
遺伝と環境の要素によるものになるのかもしれない。
だとすると、もともとの遺伝と環境が、
意志をつくる(変化を意図する)きっかけとなる。
それはつまり、
人は、自分を変えようとする意志を、もともと持つとは限らない。
言い換えると、遺伝や環境の要素に意志をつくるきっかけがなければ、
意志を持たない人がいてもおかしくなさそうだということだ。
結論
意志(これの厳密な定義も難しいが)が
発生する遺伝的要素と環境的要素を持ち合わせている場合には、
「環境」の要素を、自らの意志によって変えることで、
自分を変えることができるかもしれない。
これが、私が最終的に出した結論である。
そもそも、人の変化とか成長みたいな概念は、
より近現代的な産物な気がするので、
意志が絶対にあった方がいいとは思わない。
それを強要するのは、残酷なこともあると思う。
だが、もしあなたが変化を望むのだとしたら、
あなたは自らの環境をさまざまな視点で変え、
自分自身を変えられるのではないだろうか。
これが私の言いたいことである。
そのようなさまざまな視点を見つけるきっかけとなる
情報や考えを発信していけたらなと思っているので、
ぜひ他の記事も見てみてください!!
社会としてできること 私の考え
意志もつこと、つまり自己決定は、
その人の幸福度を左右する重要な要素になると聞いたことがある。
たしか、健康、人間関係に次いで、自己決定が大事な要素であったはず。
そうすると、社会としては、
人が意志をもてるようにする環境をつくることが重要なのではないだろうか。
それは、教育であると思うし、
全員が受けられる義務教育の内容に含まれるべきである気がする。
スマホをいじりすぎて、後悔した夜にも、
人って変われるのかな…と葛藤するのでした(笑)
…つづく。