「ごめん」「すみません」
「ごめん」よりも
「ありがとう」のほうが
温かみを感じる。
私を含め、多くの人は、
普段何気なく、「ごめん」と言う。
人が何かくれた時に、
「えーこんなにいいのにー、ごめんごめん」
「すまん」「すみません」もよく言う。
人が何か気遣ってくれた時に、
「あら、すみません」
なんの違和感もなく使ってきたけれど、
それらの言葉のもつニュアンスをよく考えてみると、
少し違和感を感じるシーンがでてくる
というよりも、「ありがとう」の方が
その場に相応しく、そして
温かいような気がするのだ。
言葉の意味 広辞苑
それぞれの用途で使いそうな意味を『広辞苑』で調べてみる。
(NHKで放送していた「舟を編む」のドラマを見て以来、紙の辞書で言葉を調べることも増えました笑。
実は、今は亡き祖父からもらった広辞苑です。今までインテリアになっていましたが、時を経て立ち返ってきました。ありがとう。)
「ごめん」
:③容赦、赦免の尊敬語。転じて、謝罪・訪問・辞去などの時の挨拶。
(「ー・なさい」:①あやまち、非礼をわびる言葉)
「すまない」
:(このままでは終わらない意から)相手に悪く、自分の気持が片付かない。申しわけない。謝罪や依頼の時にいう。
「ありがたい」
:⑤またとなく尊い。もったいない。恐れ多い。
⑥(人の親切や好意などに対し)感謝したい気持である。身にしみてうれしい。
⑦本当に恵まれていて、うれしい。
意味だけでは違和感は薄い
言葉の意味だけを見ると、
そこまで違和感はない。
謝罪だったり、
自分の気持ちやその事実がこのままでは済まなかったり、
たしかに、そんなときに「ごめん」「すまん」を使っている。
言葉の外にある矢印
そこで思った。
言葉の意味もそうであるが、
その言葉が示す態度の方向や、
言葉の外の思いも大事であると思う。
それを(人から人への思いの)「矢印」と呼ぶことにする。
「すまない」などは特に、矢印が、より自分を向いている気がするのだ。
「ありがとう」は、矢印が、より相手に向いている。
これがこれらの言葉の間に感じていた違和感の正体かもしれない。
たぶん、これらの言葉を言う時よりも
言われる時に、この違和感を感じていたんだと思う。
あなたに喜んでもらおうとやったのに、「ごめん」「すまん」って。
「もっと喜んで欲しいのにな」「素直に嬉しそうにしてる姿が見たい!」
そう思うことがあったのである。
謝らせてしまっていること自体に、私が「すまない」と感じてしまうのだ。
それが心地悪いと感じることがある。
だから、
「ありがとう」と言って欲しいし、
「ありがとう」と言いたい。
24. 4. 2024