こんな人におすすめ
・「勉強」や「仕事」がつまらない人
・教育や世の中の仕組みに疑問をもつ中高生、大学生
・社会を変えたい、起業したいと思う社会人
・教養を身に付けたい人
・自分らしく活きられる社会を作りたい人
冒険の書ってなんだ?
「冒険」ってなんだろう…。
本について
【参考文献】孫泰蔵, 『冒険の書 AI時代のアンラーニング』, 日経BP, 2023, 365p
本の内容
内容がとても詰まっている本ですので、各章の要点を解説していきたいと思います。
それぞれの章のテーマに、多くの視点で意見が書かれているため、一部抜粋しつつ要約してみます!
①現代の教育システムに至る歴史
現代の教育システムができる以前の時代から考えると、
ジョセフ・ランカスターが作った、クラスという単位で、効率的に、多くの子どもを教育するシステムは大きな発明です。
ですが、21世紀に入った今、そのような教育は、子どもが受け身で勉強をする場、
ネガティブな言い方をすれば、
先生や大人が言うことにただ従うだけの場になっている側面があります。
「学校の勉強がつまらない」と感じる背景には、このような要因があると考えられます。
私も、講義系の一方的な授業は、あまり面白くなかったなと思うし、
自分の興味とか関心に基づいた探究もできないので、ワクワクもしにくかったです。
②「遊び」と「勉強」の区別
現代では、子どもは遊びと勉強、大人になれば仕事をして働くというイメージがあります。
そして、「遊び」は楽しいけど、「勉強」と「仕事」はつまらない。
そういう印象をもつ人が多い社会になっているのではないでしょうか。
実は、「子ども」という概念自体が、17世紀以前は、ありませんでした。
社会の発展とともに、「子ども」を悪い影響から守り、特別な扱いをするようになっていき、
次第に、教育は「子ども」が社会で活躍するための準備の期間になっていきました。
それは、見方によっては、「子ども」をまだ未熟な存在なので、しっかり教育や「勉強」をさせないといけないということです。
こういう常識がある中では、その教育の結果である「大人」が仕事をするのも、「勉強」のようになってしまうのも無理はありません。
③能力主義、メリトクラシー
現代は、能力を高めないと社会に置いてかれてしまうという空気が少なからずあります。
でも、能力って相対評価から生まれるフィクションでしかないのです。
そう考えると、あるべきなのは評価ではなく、感謝(「アプリシエーション」)である。
アプリシエーションとは、自分が夢中になれるもの自体のありがたさを感じるとともに、
周りの人が、学ぶ人のユニークさや熱意、すごさを讃える意味での感謝もあります。
そのようなアプリシエーションが増えれば、豊かな社会になっていくはずです。
テレビ朝日の「サンドウィッチマン&芦田愛菜の博士ちゃん」という、
いろんなことを極めた、子どもたち(博士ちゃん)が紹介される番組があります。
これを見てると、「なんでそんなことに興味持った?!笑」というトピックが多く、
この驚きと感動こそが、本書のアプリシエーションに近いなと思いました。
もちろん、他人が見てわかりやすい才能だけが素晴らしいわけではないと思います。
才能があるかどうかは、他人が決めるものかもしれませんが、
自分が夢中になってしまうことなら、それは人から認識され、評価される必要は必ずしもないと思います!
現代のような、地位が生まれによるものではなく、能力によるものである社会を「メリトクラシー」と言います。
たしかに、これは、昔よりも平等になったという意味ではまだ、マシな仕組みかもしれません。
ですが、それは同時に、能力がない人が脱落していき、
「能力をつけないといけない」、「能力がない自分なんて価値がない(ペシミズム)」
というようなネガティブな、幸せとは言い難い社会になっている側面もあるのです。
④役に立つこと、とは?
将来役に立つこと、とは何なのでしょうか。
それを探求した末に、多くの思想家や芸術家のアイデアと出会います。
例えば、マルセル・デュシャンの「自転車の車輪」。
名の通り、自転車の車輪を、椅子に突き刺し、ただ空中で回るだけのもの。
自転車の車輪として見ると、この車輪は何の役にも立っていません。
ですが、回すと楽しい。
この作品は、「意味がない」ものにも、何か意味があることを示唆する作品なのです。
「泉」という作品も、男性便器ににサインを書いただけのもの(笑)。
意味なんてないですね。
でも意味がなさそうだということを考え、新たな意味を与えることはできそうです。
芸術作品とは、なんとも、示唆に富みますね。
だからこそ、意味があるからやるのではなく、
自分が気になるから探求していく、そして、それに関する新たな「問いを立てる」ことが大事です。
⑤では、これからどう生きるか?
著者の泰蔵さんは、幼い頃、父の仕事場によく連れてかれて、父から仕事のアイデアを尋ねられることがあったそうです。
父は、幼いからこそ出てくる発想を、馬鹿にせず、真摯に扱い、むしろその常識にとらわれない発想を尊重していたそうです。
このような、常識にとらわれない学び、今ある前提を一旦疑ってみる学びを「アンラーニング」と言います。
本書のタイトルの「AI時代のアンラーニング」とは、このことか!
AIが出てきて、教育の意義が揺らいできて、
そこで出てきたアイデアが、「アンラーニング」という、
常識を批判した上での学び、という意味が込めれていそうです。
どうしても、大人になると、社会の常識に染まってしまいます。
もし、年齢を問わず、対等な関係で一緒に探求していける場所があったとしたら、
それが、皆が活き活きとできる新しい学校の姿かもしれません。
人生をかけて、どう生きるべきかを自らに問う。
その生き様こそが、後世に残せる大きな遺産であるはずです。
学べること・感想
現在の教育は現時点での解でしかない
教育に限った話ではないですが、
今ある教育、義務教育のあり方が、絶対的な正しさではないことを、歴史的な出来事も踏まえて感じさせられました。
国民に、義務教育を与える環境が与えられ、識字率は上がり、
昔よりは、生きやすく、平等になったかもしれない。
ですが、能力を高めなければいけないという観念、
また、能力が高い方が高い学歴や地位に立てるシステム、
それらは、不平等であり、生きづらさ、差別を生んでいる原因かもしれない、
そういうことを強く感じさせられました。
教育も社会制度も、どれも、すぐに変わるものではないし、本書の中では絵空事のようなことも書かれています。
ですが、このような理想を描き、人々の間で共有することは、社会として一歩を踏み出すために重要であると思います。
感謝で人は動く
私が印象に残った概念が、③章で出てきた「アプリシエーション」です。
当時は無意識でしたが、小中学校の教育って、
本当に、人と比べて上か下かを気にさせるものが多いですよね。
テストの点数、通信簿、スポーツテストの成績、運動会の順位…。
ましてや、美術の作品までも成績評価の対象になります。
これでは、子どもも、
「あの人より高いから、自信がもてる。」
「平均より低いから、自分はダメだな。もっと頑張らなきゃ。」
という競争意識が強くなってしまい、比較に基づく自己肯定が大きくなっちゃいます。
これ自体は悪くはないかもしれませんが、
そこでは、うまくできない人が取り残され、脱落し、能力を周りが強く求めるが故に、自己肯定感を失ってしまうことも少なくないと思います。
この現実を変えていくのが、感謝、「アプリエーション」の発想です。
「誰かと比べてすごい!」っていうのももちろん大事ですが、
「それがあること自体がありがたい」
「その性格自体が素晴らしい」
「そういう視点がもてるのはあなたらしい」
「それに夢中になれてるのって楽しいね」
という感謝の観点をもてたら、評価が中心ではなくなっていくのではないかと思います。
それに、評価されるってわかってると、評価が上がるようにふるまいますよね。
それでは、本来の自分でいることが難しく、苦しくなってきちゃいます。
まとめ
教育のあり方を問い直すところから、人生の意義まで考える
「壮大な、教養・教育エッセイ」という印象の本でした。
教養という概念もなんだか、社会で必要とする能力みたいなイメージがありますが、
どちらかというと、面白く、世界を知れる!というニュアンスでの教養です。
記事には書ききれませんでしたが、他にも歴史上の思想家、実業家が多く取り上げらていて、
現代を生きているだけでは意識しない視点に、好奇心をくすぐられます!
ぜひ、あなたも、好奇心の旅、「探究の冒険」に出てみてください!